Column 4


2011年06月09日(水)
語源は楽し。そして、知識は楽し( La gaya Scientia )。

 ふたつめの大学で英語史を学び始めて間もない頃に、「イングランド」が、かのゲルマン民族の一派で、5世紀頃、現在のドイツ北岸、南部よりグレートブリテン島に侵入してきたアングル人に由来すると説明されてとても感動したことを、今でもよく覚えている。
Anglo + Land > Anglaland > England
アングリア(イングランド)とは、もともとはアングル人の土地という意味であった。
 高校時代までに、身につけてきたものは、受験に必要な「知識の連関」。それはそれで無意味とは思わないし、それまでの教育は、生きていくに必要なあるいは大学教育に必要な情報処理能力の基礎的な部分となる力を養ってくれたと思えば、それまでの社会状況と私たちの発達段階に応じた致し方ないものと言えなくもない。
 
 とまれ、以来、ざまざまな名称・用語について、その語源を調べるようになったが、実に面白い。歴史が見え、ヒトの認識の有り様が見えてくる。
 受験指導の中にも、適宜、その面白さを盛り込んであげられればと思う。それはまた、以下を思うから…。

 英語のknowは、ドイツ語のkönnenにその語源を辿(たど)
ることができるようだが、その意味は英語のcanに相当する。つまり、「知る」ことは「できる」ことと共通の起源を持っているのだ。
 本来「知る」ということは、本質的に物事の根源を知ることによって事象をコントロール「できる」力を手に入れることを意味していると言える。「知る」ことは、謂わば知を手に入れた者だけが知りうる世界への扉を開ける鍵だ。
 では、私たちはどのようにしたらその「知る」ということを手にできるのだろうか。それは、やはり、受け身ではない、主体的な「学び」から以外にはない。






       




※ 語源を訪ねる愉しさは、まずはストゥデンスアカデミア本館のリンクページから…

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